松谷竜二郎
プロ野球の元巨人でピッチャーだった松谷竜二郎さんが、
年商90億円ある建設工事会社の社長になり、
第二の人生を成功させています!

元巨人の松谷竜二郎??

そんな方は意外と多いのではないでしょうか^^;
ボクもそうなので、松谷竜二郎さんを調べてみました。


スポンサードリンク


松谷竜二郎さんの経歴とWikiまとめ

生年月日は、1964年7月10日で現在51歳

大阪市旭区出身。

身長182cm/体重81kg

右投げ/右打ち



~経歴~



大阪私立高校卒業後、1983年大阪ガスに入団。


1988年、巨人にドラフト2位で入団。


1991年には、野村克也監督率いるヤクルトスワローズのID野球を完全に抑え、
「ヤクルトキラー」と呼ばれていました。

1995年、近鉄バファローズ(今は解散してしまっている)に入団するも、
1997年、戦力外通告を受け退団。


その後、台湾プロ野球の入団テストを受けるが、
不合格となり、引退を決意する。


巨人入団し、2軍ではノーヒットノーランを2回も達成して、
1軍デビューを果たし、その後の活躍を期待されていたのですが、
その選手生活は、右肩痛との戦いでした。


巨人から移籍した、近鉄バファローズでは、自身、
「ゴミのように扱われた」と言うほどで、
商売道具である肩はボロボロになっていて、
近鉄バファローズ側としては、投げられないピッチャーはいらない。
といったところだったのでしょう。


近鉄バファローズから戦力外通告を受け、退団した後、
肩の手術をしてまでの、覚悟を決めて受けた台湾プロ野球の入団テストも、
やはり思うように投げられず、不合格となってしまいました。


引退後の松谷竜二郎さんが、また紆余曲折あるのですが、
それは【まとめ】の方で紹介します。


スポンサードリンク


息子は学法福島で活躍!

プロ野球選手であった父親のように、
息子さんもピッチャーとして野球の才能を持っていました。

右投げ右打ちの父親とは逆に、左投げ左打ちで、
変化球を武器に学法福島(学校法人松韻学園福島高校)で、
ピッチャーとして活躍。

福岡県でも注目される存在でした。

プロ野球選手になった話は聞かないので、
きっと社会人でプレーしているのでしょう。

【まとめ】

松谷竜二郎さんは、プロ野球選手を引退し、第二の人生を歩んでいます。

現在、建設工事会社のスチールエンジという、
床版の専門工事では業界トップの会社のなんと、
社長になっているんですね!


引退後、自分の進路に悩んでいた時に、
相談に乗ってもらっていた野球関係者に、建設会社を紹介してもらい、
営業兼現場作業員として就職。


34歳で、勝手の分からない業界に飛び込んで、相当苦労されたそうです。

寝る間も惜しんで勉強し、嫌なことも進んでチャレンジし、
職人に怒鳴られながらも、仕事を覚えていきました。

その後、職場を変えるのですが、6人ほどでやっていた会社を良くしようと、
必死でやってきて3年。

会社の経営も上向きになり、約60名の社員と、年商90億円の企業に成長。
2003年にスチールエンジの社長に就任します。


スポーツ選手の引退後、
解説者や、タレントとして成功できるのは本当にごく一部の人でしょう。

場合によっては、あまりいい話を聞かない場合もあったりします。

引退後も、一般の社会人として成功できる!というのは、
今後のスポーツ選手全般の道標となっていくのではないでしょうか。